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鹿児島

2015年10月 6日 (火)

鹿児島市の世界遺産1:関吉の疎水溝

2015年7月,「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」が世界文化遺産に登録されることが決まったというニュースを聞いた。 「九州・山口の近代化産業遺産群」を世界遺産に登録しようという動きがあったのは知っていたので,ようやく登録されたかと,鹿児島出身の人間として,素直に喜んだ。

さて,鹿児島でこの世界文化遺産に登録された構成資産をみていくと,まずは旧集成館の反射炉跡,機械工場跡(現・尚古集成館本館),旧鹿児島紡績所技師館(現・異人館)が挙げられていた。これらは鹿児島市の一大観光スポットである磯地区にあり,地名にあらわれるように海岸沿いにある。実家から近いこともあり,よく訪れていた。

しかし,集成館以外の2つ,すなわち「寺山炭窯跡」と「関吉の疎水溝」は,どちらもマニアックである。「寺山炭窯跡」については知ってはいたが,遠くて訪れにくい場所ということもあり,見たことはなかった。一方,「関吉の疎水溝」は,そもそも聞いたことがなかった。これはぜひ現地で確認しておかなければということで,8月に帰省した折に,この2つの場所を訪れてみることにした。今回はそのうち「関吉の疎水溝」について。

「関吉の疎水溝」は稲荷川上流部の台地にある用水路とその取水口からなる。1850年代に島津斉彬により建設された工場群「集成館」では,大型動力は水車によるものであった。吉野台地から引き込んだ水を海岸沿いの集成館まで落として,水車の動力を得ていたのである。なお,集成館は,磯地区の島津家の別邸・仙巌園に隣接する。


日本近代化の出発点ともいえる集成館事業において,この水車動力及び用水は不可欠であり,それゆえ集成館事業を支えた関連遺産群として世界文化遺産に登録されたのである。

なお,「関吉の疎水溝」のどこまでが世界文化遺産に登録されたのかがよく分からない。パンフレットなどを見る限り,関吉の取水口とその近くの用水路(疎水溝)は写真が掲載されているものの,疎水溝は7kmに及ぶとされ,しかも途中で途切れているらしい。7km全体が登録されたのか,それともその一部が登録されたのか。時間がある時に確認したい。

さて,関吉の取水口は稲荷川上流部にある。稲荷川下流部は上町地区北東部を流れており,実家から徒歩 5分くらいでたどり着ける。また,上流部の台地上には母校・大龍小学校の校区が広がっており,その辺りに住む同級生はバスで通学していた。ちなみに,関吉の取水口は,わずかに大龍小学校の校区外である。鹿児島の中心市街地・天文館から車で25分前後の距離だが,案内板などはまだ仮のものしかなく,分かりにくい場所にある。

Kac05_sekiyoshi5_2015          1. 関吉の取水口から少し下流の稲荷川(2015年8月)

最近になって整備されたであろう駐車場に車をとめて関吉の取水口に向かう。その道中にはのどかな農村風景が広がる。川の流れも比較的きれいである。1の写真の軽トラックがとまっている辺りを右に折れて5分ほど歩くと関吉の取水口に着く。

Kac04_sekiyoshi1_2015          2. 関吉の取水口を下流からみる(2015年8月)

写真1での川の流れは緩やかであったが,そこから少し上流に行くと山間の渓流といった雰囲気になる。マイナスイオンに満ち溢れ,吹いてくる風が心地よい。奥に見えるのが関吉の取水口であろう。世界文化遺産登録が決定したこともあり,観光客もいるようだ。

Kac04_sekiyoshi2_2015        3. 関吉の取水口よりもわずかに上流部にある堰と取水口(2015年8月)

取水口というからには,堰を設けて水位を高めることで,通常の川面より高い位置にある用水路に水を流すのであろう。ということで,脇を流れる用水路に水が流入するところの近くまで行ってみたのが3の写真である。これはこれで由緒ありげな雰囲気があるのだが,こちらはお目当てのものではなく,世界文化遺産への登録が決まった関吉の取水口は下の写真4とのこと。

Kac04_sekiyoshi3_2015        4. 世界文化遺産への登録が決まった関吉の取水口(2015年8月)

少し分かりにくいが,中央下よりで,岩が川の流れを阻んで川幅が狭い場所がある。その左手に人工的に削られたような直線状の岩があり,縦長の溝が掘られている。また,川の水が溜まっている部分の右側の岩にも平面的に削られたような痕跡が見える。この両地点を結ぶ形で堰が築かれ,左手の壁面上部から取水していたようであり,こちらが登録が決定した取水口跡ということだ。

これらの内容は,現場で観光ボランティアの方に教えていただいたものである。登録決定から一月しか経っていないことから,それ以前から活動していたのであろう。こちらの質問にも淀みなく返答がなされ,かなり勉強されたのであろうと推察される。ボランティアの方に教えていただかなければ,誤解したまま実物を見過ごすところであった。いろいろ教えていただいて感謝するとともに,このような活動の重要性を改めて感じた。

なお,1850年代に築かれた堰は,明治半ばの水害の際に決壊したらしい。ただ,集成館事業終了後も,関吉の疎水溝は農業用水として使用されたことから,補修が進められたようだ。現在も稼働している写真3の堰もそうして築かれたものであろう。

Kac04_sekiyoshi4_2015          5. 関吉の取水口から続く用水路(疎水溝) (2015年8月)

写真3や4の地点で取水した水は,用水路を通って磯地区まで流れていた。写真5は関吉の取水口近くの用水路,すなわち疎水溝である。右手奥に見える水田に比べて一段高い所を水が流れている。7kmにも及ぶ距離で水を流すためには,土地の起伏に関わらず一定の傾斜で用水路を設けなければならない。加えて,ここは台地上で起伏が大きい。昔の人々の測量技術・土木技術の精度の高さに驚かされる。

また,この用水路の壁は比較的新しいものに見える。この用水路の起源は,1850年代に築かれた疎水溝,もしくはそれ以前から存在した吉野疎水にあるであろう。しかし,現在でも農業用水として使用されていることから,継続して補修されているのであろう。その主たる目的は,磯地区での集成館事業における工業用からシラス台地上での農業用へと転換したわけだが,現在にも生きる遺産として重要性が高い。

このように,堰と取水口と用水路からなる「関吉の疎水溝」を見てきたが,こうした堰や用水路自体は,比較的多くの場所で目にすることができるし,場所によっては中世やそれ以前にまでその起源をさかのぼることができるものもある。その点を考えると,この「関吉の疎水溝」の重要性は,日本の近代化の出発点の一つとなった集成館事業との関わりから認識されるべきものであろう。「明治日本の産業革命遺産」というストーリーの中でその重要性が認識されるのである。

身近なところに現存する,もしくは「発見」されるのを待っている地域の歴史的資産も,大きいストーリーの中に組み込まれてこそ,その重要性を認識しやすくなるのであろう。人文科学系の学問の社会貢献の一端がこういう場面にあるということを改めて実感した。

2015年9月23日 (水)

奄美3:用海岸でモーターパラグライダー

大浜海浜公園を訪れた後,名瀬で遅めの昼食をとった。今回の旅で残念だったのは,鶏飯の美味しいものに巡り合えなかったことである。どこも出汁がいまいち。案内してくれた人いわく,自宅のものが一番おいしいとのこと。そのパターン,よくある。

また,名物という山羊汁,途中までは美味しくいただいたが,急にあの独特の臭みを感じるようになり,そこから身体が受け付けなくなってしまった。基本的に何でも美味しくいただく私だが,山羊汁を残さず食べきるのは無理だった。

ついでに,「酒には呑まれろ」の私,今回はお店の人のお勧めの黒糖焼酎をいただいたが,こちらもあまり合わなかった。黒糖焼酎はかなり好きな方で,普段からよく飲んでいるものの,合うものとそうではないものとがあるようだ。

ただし,その他のものは美味しくいただいた。奄美はおいしいものが多いように感じた。

さて,昼食を済ませた後,笠利崎の南に広がる用海岸で,モーターパラグライダーによる遊覧飛行を経験した。


奄美は海も海岸もきれいなところが多いが,この用海岸,ガイドブックなどにはほとんど記述がない。穴場というのではなく,取り立てて特徴のない海岸なのであろうか。それとも何か理由があるのだろうか。そこはよく分らない。が,十分すぎるほどきれい。

Kap01_amami_c1_201508            * 浜辺からみる用海岸(2015年8月)

沖にまで広がるサンゴ礁の外礁が外海の荒波を受け止め,それより陸地側はほとんど波が立たない静かな浅い礁池となっている。そして,その浅い礁池の部分の海水は緑がかった水色をしており,外礁より外海の深い青色とは対照的である。これだけきれいでも注目されないとは,どれだけきれいなビーチがあるというのだ,奄美には。

Kap01_amami_c2_201508            * モーターパラグライダー(2015年8月)

さて,モーターパラグライダー,操縦者の方とお客さんとの二人乗り。モーターが付いているとはいえ,風がないと飛べないとのこと。また,風の状態に応じて飛ぶ場所も変更するらしい。この日は昼ごろまで風が吹かず,飛べないかもしれないとの連絡を受けていたが,昼過ぎになって風が出てきて飛べることとなった。やはり日頃の善行が肝要である。

Kap01_amami_c3_201508            * 上空からみる用海岸(2015年8月)

パラグラーダーで上空へ。まず,真下に広がる用海岸。8月の16時過ぎだというのに見事なまでに人がいない。ただ,帰りがけに2組の家族を見かけた。この2家族でこれだけのビーチを独占できるのである。なんともうらやましい。

Kap01_amami_c4_201508_2             * 上空から用海岸とその南方をみる(2015年8月)

さらに上空まで飛行する。外礁を挟んで外洋側の深い青色と陸地側の浅い礁池との色のコントラストが印象的である。礁池の部分では海底のサンゴ礁の色がそのまま見えているように感じるが,所々に白波が立っていることや海岸の白い砂と色が違うことなどから,それらが海水の下にあることがわかる。海水の透明度がとても高いのである。

ただ,少し残念なのが,この日は靄がかかっており,遠くが霞んでしまっていることである。左手最奥部があやまる岬付近と思われるが,かなり見えにくい。ちなみに,手前に見えるちょっとした岬とあやまる岬との直線距離は3kmほど。この日の視程は10kmは超えないであろう。

それでも,用海岸から砂浜とサンゴ礁が海岸沿いにずっと連なっている様子が見える。そして,これらの海岸,Google Mapでは海岸名が出てこない。地名を付すほどのものではないということか? それだけ奄美はきれいな海岸に恵まれているのである。

Kap01_amami_c6_201508            * 上空から用海岸とその先の笠利崎をみる(2015年8月)

パラグライダーは方向転換し,南から用海岸とその先の笠利崎を眺めることになった。海を見ていると,中央やや奥にちょっとしたサンゴ礁の切れ目があり,深い青色に見える海水が陸地側に入り込んでいる。

Kap01_amami_c7_201508            * 上空からみるリーフギャップ(2015年8月)

このようなリーフギャップがサンゴ礁の所々にできていて,透明感あふれる緑がかった水色の海水がサンゴ礁の景色にアクセントをつけている。しかし,こういうところから外洋へと海水が流れ出していくであろうことを想像すると,波の立たない静かな礁池でも,油断はできない。離岸流が発生するからである。ガイドブックでも離岸流についての注意書きが掲載されているものがあった。離岸流の状況については地元の人に聞くのがよいそうだ。静かな海とは言え,注意が必要だ。

なお,ちょうどこの辺りにはウミガメがまさしく大量に浮かんでいたものの,それらはいい感じに撮影できていなかったので,紹介するのは断念。これだけきれいなビーチがこんなに長く続いていて,しかもほとんど人がいない。そりゃ~,ウミガメもたくさんやってくるよね。なお,4~8月はウミガメの産卵シーズンらしい。

と,こんな感じでモーターパラグライダーによる遊覧飛行は終了。飛行時間は20分くらい。30代半ばになって急に高所恐怖症となった私であったが,それほど怖くは感じなかった。8000円ちょっとと少しお高いが,経験する価値は十二分にあるだろう。

さて,遊覧飛行が終了して帰路へ。楽しい時間もいよいよ終ろうとしている。明日からまた日常生活に戻るのか,いやだなぁ~,などと考えながら空港までの道を急いでいたところ,我々の行く手を遮るものが。それはサトウキビ畑からヒョイと出てきたトラクター。ちょっと雰囲気を出してみようということで,画像は少しいじってみた。

Kap01_amami_c8_201508            * サトウキビ畑とトラクター(2015年8月)

とてものどかで,なんとなく懐かしいけど,楽しい時間が終わりを迎えてどことなく寂しい,そんな雰囲気がただよってくる風景だった。

こんな感じで強行日程による奄美観光は終わりを告げた。今回は,とにかく奄美のいいところをたくさん紹介してほしいとリクエストしたので強行軍となったが,おかげで密度の濃い充実した旅となった。

次に奄美を訪れる機会がある時は,予定はあまり詰めずにゆっくり過ごして,別のかたちで奄美の良いところを満喫したいと思う。

2015年9月 7日 (月)

奄美2:奄美海洋展示館

奄美では,マングローブの原生林を訪れた後,大浜海浜公園内にある奄美海洋展示館を見学した。

大浜海浜公園は名瀬から比較的近くにある綺麗なビーチで,海水浴客もいたが,混雑している様子はなく,のびのびと気持ちよさそうに海水浴を楽しんでいる感じであった。しかし,案内してくれた知り合いによると,昼間に泳ぐのは観光客とのこと。地元の人は,日差しがきつい日中ではなく朝方や夕方に泳ぐらしい。

さて,この奄美海洋展示館,入ってすぐに奄美の海を再現したサンゴ礁大水槽があった。そこにはウミガメや様々な魚たちが悠然と泳いでいた。

Kap01_amami_b2_201508                * 水槽を泳ぐ魚たち(2015年8月)

この水槽の上では,ウミガメや魚たちにエサやりを体験することができるというので,実際にやってみた。エサは普通のレタス。指でつまんだレタスを垂らすとウミガメが首を伸ばしてパクッと食い付いてきた。あまり近くでやると指を噛まれることがあるらしい。ちょっとしたスリルを味わえる。そして,ウミガメを直に触れること,さらにはつかんで持ち上げることもできた。ウミガメの皮膚はフニフニとやわらかい。なかなかできない貴重な体験である。

また,このレタスにはほかの魚たちも元気にパクついていた。魚が普通に泳げるやや深くなっているところでは,熾烈なエサ獲得闘争が行われていた。レタスにそこまで食い付くか?と素朴に驚いた。そうした中,すこしでもその闘争を避けようとして,手前の浅瀬になっているところまで上がってくる魚がいた。でも,浅瀬なため,普通には泳げない。ということで,浅瀬にやってくる魚は体を90度倒し,横向きになりながら必死に泳いでエサにありつこうとしていた。そこまでして食うものか,レタスって。という感じで,なかなか見ることのない光景を見ることができた。

ウミガメや魚たちのエサやり体験,楽しくて夢中になっていたので,写真は撮っていない。

さて,楽しいエサやり体験が終わり,水槽の中を見ることのできる場所まで戻ると,立ち泳ぎをしてその場から動かない魚がいることに気が付いた。なんだろう?と思ってじっくり見ていると,泳いでいるというふうでもない。ますますなんだ?と不思議に思いながら近くの解説を読むと,それはコバンザメであった。水槽の壁面に吸い付いたままじっとしている様子。泳ぐことに疲れたのか?生きていくってたいへんだよね。たまには楽をしたいその気持ち,よくわかるよ。

Kap01_amami_b3_201508                * 壁面に吸い付くコバンザメ(2015年8月)

今回は時間のない強行軍だったので,ここでは奄美海洋展示館を見学しただけで終わったが,この大浜海浜公園,そもそもきれいなビーチがあるし(日本の渚百選に選ばれている),公園内には,奄美の歴史文化的建造物である高倉が展示されている。また,夕日や星空もきれいとのこと。

時間のある時にゆっくり訪れたい場所が奄美にはたくさんあるようだ。

2015年9月 2日 (水)

奄美1:マングローブ原生林

3年ぶりの更新。多く?の人に「近いうちに更新します」と言いながら,放置しちゃっていた。

さて,鹿児島出身の私,興味がありながらも離島に行ったことが一度もなかったのだが(沖縄は行ったことある),今年に入り,離島を訪問する機会を得た。人生初離島である。それも2度も。そして,予想に違わず,良い風景をたくさん見ることができた。そこで,これを契機にブログを再開しようと考えたのである。

なお,その2度とは,ゴールデンウィークに姉家族と母と甑島を訪れたものと,8月に知り合いの案内で奄美を訪れたものである。まずは記憶の定かなうちに,ということで奄美から。

今回の奄美訪問は強行軍で,滞在時間が24時間未満だったので,奄美のいい所をひたすら案内してもらうという感じだった。夕方の便で奄美に着いて,晩は名瀬で食事とお酒をいただき,翌日にあちこち見てまわって夕方の便で帰った。今回紹介するのは,2日目の午前中に訪れた住用町のマングローブ原生林である。

このマングローブ,干潮時には干潟が現れ,シオマネキのダンスなどが見られるとのことだが,満潮時に訪れて水面からマングローブを見ることにした。また,ガイドブックによると,ここではカヌー体験が基本のようだが,ガイド付きの遊覧船に乗ることにした。

役勝川沿いの船着き場から遊覧船(数名しか乗れない)に乗船。雲は多いものの薄雲が多く,青空も見える。太陽は雲に隠れており,厳しい日差しを浴びずにすむし,眩しすぎることもない。船に乗るには絶好の日和だ。日頃の行いが功を奏したのである。善行は積むべきものである。

Kap01_amami_a1_201508             * 役勝川両岸に広がるマングローブ(2015年8月)

さて,川を下っていくと,メヒルギが花を咲かせていた。ガイドブックには見頃は6月とあるが,まだまだたくさん咲いていた。また,オヒルギの花も咲いていたが,こちらの見頃は8月でちょうど真っ盛り。たまたまどちらの花も楽しめる時期に訪れたようだ。やはり日頃の行いは大切だ。

Kap01_amami_a2_201508             * メヒルギの花(2015年8月)

Kap01_amami_a3_201508             * オヒルギの花(2015年8月)

この住用のマングローブがオヒルギの北限地と言われており,「国定公園特別保護区」に指定されている。一方,メヒルギの方は,鹿児島市喜入町に群落があるが,こちらは人為的に持ち込まれたものだという。

さて,船は住用川の支流?のマングローブ原生林の中に進んでいく。座っていても頭をぶつけそうになるくらい,場合によっては船の高さギリギリのところまで,木の枝が伸びてきている。木の枝にぶつからないよう注意しながら,なかなか目にすることのないマングローブの風景に息をのむ。なお,大雨が降ると,ハブが流れてくることがあるらしい。

Kap01_amami_a4_201508             * マングローブ原生林の中へ(2015年8月)

マングローブ原生林を進むと,木の葉などに加え,白い綿状のものが流れているのが見えた。

Kap01_amami_a5_201508             * 川を流れる白い綿状のもの(2015年8月)

なんであろう?と近くに流れてきたものを見てみると,それはサガリバナであった。

Kap01_amami_a6_201508             * 川面を流れるサガリバナ(2015年8月)

このサガリバナ,マングローブ近くの湿地に自生し,夜間に花が咲き,甘い芳香を放つとのことだが,前日の夜に名瀬で飲み歩いていた際に街中でも見かけた。

Kap01_amami_a7_201508             * 夜に咲き誇るサガリバナ(2015年8月)

サガリバナはきれいな花を咲かせることから,街中でも育てられているのであろう。ただ,この花は朝には散ってしまうとのこと。つまり,川面に浮かぶサガリバナは,夜に花を咲かせたものが朝になって散ってしまい,その散った花が流れてきていたのである。

マングローブ原生林の中は,川の流れが穏やかで波が立っていないことから,水面は鏡のように反射している。その上を白い綿状の瑞々しいサガリバナが上流のほうからゆっくりいくつも流れてくる。夜に咲いて一晩で散ってしまうという話もあわせて,なにやら幻想的だ。

ちなみに,太陽が高くなったあとのサガリバナ,陸の上で散ったものや落ちずに枝にとどまっていたものは,しなびているうえに茶色く変色していて,ちょっと可哀想な感じがした。

さて,船は川の本流に戻って船着き場に向かう。雲が多くて霞んでいたものの,それがかえって遠近感を増す効果をもたらしていた。加えて,この日は風もなく,本流の方も川面が鏡のように反射していた。遠くを見ていると,どこまでが水面でどこからが空かがわからなくなる。ゆらゆらと心地よい船の揺れと合わせ,空中に浮かんでいるかのような感覚に襲われた。

Kap01_amami_a8_201508             * 穏やかな役勝川の水面(2015年8月)

また,船から体を乗り出して川底を見てみると,そこそこな大きさの魚があっちにこっちにと泳ぎ回っている。話を聞くとリュウキュウアユとのこと。リュウキュウを冠しているが,沖縄本島では絶滅したため,世界でこのあたりにしか生息していないらしい。

住用川と役勝川の河口部に広がるこのマングローブ原生林,国内で2番目の規模を誇るものであり,マングローブの自然分布としては北限にあたるという。そして,多くの動植物が生息し,リュウキュウアユをはじめとして珍しいものが多いという。貴重な財産である。

今回は満潮時に船からマングローブをみたわけだが,干潮時にも見どころがたくさんあるようだ。また機会を見つけて,干潮時のマングローブも見てみたいと思う。

【参考にした資料など】Wikipedia,『かごしまよかとこ100選 「四季の旅」』(鹿児島県観光交流局観光課,2007年),『地球の歩き方JAPAN 奄美大島 喜界島 加計呂麻島 徳之島』(ダイヤモンド・ビッグ社,2015年)

2012年2月27日 (月)

南洲墓地

南洲墓地は実家のすぐ近くの小高い丘の上にある。

Kac03_nanshujinja1_2006           * 南洲墓地(2006年7月)

南洲墓地は西南戦争に敗れた薩軍兵士の墓地で,中央が西郷隆盛の墓。お正月,この墓地に隣接する西郷隆盛を祀る南洲神社に初詣に来る。子供の頃によく遊んでいた場所である。鬼ごっこ,かくれんぼなどに最適。ただし,怪我をすると治らない。

Kac03_nanshujinja2_2006           * 南洲墓地からみる桜島(2006年8月)

桜島の撮影ポイントは錦江湾沿いに多数あるが,この撮影ポイントは,物語性という点でかなり高く評価できるのではないか。日本で最後の内戦にして武士の世の終焉を告げる戦いとなった西南戦争で死亡した,西郷隆盛をはじめとする2023名の将士とともに桜島を眺めるのだから。

なお,このポイントは,西郷隆盛のお墓から左手,西郷南洲顕彰館に向かう途中にある階段の最上部である。

ちなみに,桜島の手前に広がる群青色の錦江湾は,ゴルフ練習場の茶色いネットとその支柱でその一部を遮られている。景観条例で城山からの眺望は確保される見通しだが,南洲墓地のこの角度からの眺望は守られるのか?

Kac03_nanshujinja3_2006           * 南洲墓地の一角に建つ常夜灯(2006年7月)

この常夜灯は,西郷隆盛と勝海舟との会談により江戸城が無血開城され,江戸市民が兵火を免れたことから,その感謝の意を込めて,昭和14年に東京市が建立したもの。小学生のころ,この常夜灯の中段までよじ登ろうとみんなで何度も駆け上がった記憶がある。

また,常夜灯の左手には,「ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがまにまに 果てし君かな」と彫られた勝海舟の歌碑がある。この歌碑は比較的新しい。小学生のころ,ここで野球をしていたとき,この歌碑はなかったはず。

ちなみに,この広場では,土曜日の15:00~17:00のどこかの時間では,薬丸自顕流の稽古を見ることができる(はず)。

木刀を持ち,「蜻蛉(トンボ)」の姿勢から全力疾走し,据えられた横木の手前で膝をつきながら急停止し,その後は叫びながらひたすら横木を打ち続け,「チェストーッ」と気合を入れた一振りで終える。これを複数人でひたすら連続する。先制攻撃重視,というより一撃必殺で,防御の技は一切ない(らしい)。

なお,私の記憶が正しければ,稽古は平服で行うし,稽古で使用する木刀も普通の丸い木の棒であるが,それはいつ何時敵と対峙するのかわからないからという理由であった。

2012年2月26日 (日)

鹿児島市上町地区1

鹿児島市の上町地区は私の生まれ育った地区。

Kac02_dairyu_a1_2009          * 母校・大龍小学校(2009年8月)

大龍小学校は,島津家が三州統一を果たした時の居城・内城跡に建つ。上町地区は,この内城を中心として戦国期に形成された城下町に由来する。

校舎に掲げられた「敬天愛人」と「奮励努力」は、それぞれ西郷隆盛と東郷平八郎の言葉。

Kac02_dairyu_a2_2009          * 篤姫の生家・今和泉島津家の本邸跡(2009年8月)

江戸時代の初期,島津家の居城は城山の麓の鹿児島(鶴丸)城に移った。城下町の中心は鶴丸城界隈へと移転するが,内城周辺は上級武士の館群となった。上の今和泉島津家も大龍小にほぼ隣接する。

現在,鹿児島を語るときに篤姫は欠かせない存在となっているが,大河ドラマが始まるまで,鹿児島で篤姫は全く無名であった。『篤姫』以前,このお屋敷が紹介される場合にも,城下町の面影を残す石垣の屋敷というもので,篤姫のことが語られることは全くといってよいほどなかった。私自身も知らなかった。

Kac02_dairyu_a3_2012          * 大龍小南東角からみる南洲門前通り(2012年1月)

大龍小南東角から浄光明寺(丘の上)を眺めた写真。浄光明寺は廃仏毀釈で廃寺となるが,その後再興。なお,明治期,浄光明寺跡は西南戦争戦死者を弔う場所となり,南洲墓地や南洲神社ができた。

この角度からみると,南洲門前通りは城下町の趣を残す落ち着いた街並みという印象を与えるが,南洲神社入り口の交差点からみると雰囲気がだいぶ異なる。

Kac02_dairyu_a4_2012          * 南洲神社入り口からみる南洲門前通り(2012年1月)

中央左手が今和泉島津家の本邸跡の石垣。その目前には高層マンションがそびえる。通りの奥のほうでも高層マンションの建設が進んでいる。これより南洲神社側には中層マンションが建つ。

この辺りは上級武士の館群であったことから,比較的敷地面積の広い家が多かった。しかし,それらは次第に取り壊されていき,バブル期前後はワンルームマンション,近年では家族向けマンションへと変化していった。中には広い駐車場へと変化したものもある。土地の一区画が大きいだけに,これらの変化が大きく現れる。

戦国期の城下町に由来する上級武士の館群であった上町地区は,篤姫の「発見」も含め,近年大きな変貌を遂げつつある。

雪の桜島

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2006年の正月に実家の近くの南洲神社から撮影した桜島です。

南国・鹿児島でも,年に数回は雪が降り,桜島も雪化粧をすることがあります。ただし,気温と地熱の高さのため,桜島の雪は昼過ぎには融けてしまいます。

なお,この2006年は,豪雪で大変な年でした。

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