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和歌山

2012年9月14日 (金)

古座川町平井地区2:若宮八幡神社

平井到着の翌日の早朝,散歩に出かけることにした。

地形図で集落の北に神社があるのを確認していたので,訪れてみた。神社までは標高差30mほどの階段を上らないといけないことは地形図からも判別できた。その分,見晴らしもよいであろうという予想もあった。

Wap01_kozagawa_hirai_b1_2012           * 若宮八幡神社に上がる階段(2012年8月)

この階段を上がろうとしたところ,地元の人に声をかけられた。「最近掃除をしていなくて・・・」と申し訳なさそうにお話されていたが,境内がそれほど荒れていることもなく,また蜘蛛の巣に引っかかることもなかった。日常的にお参りされている方がいるのであろう。

Wap01_kozagawa_hirai_b2_2012           * 若宮八幡神社の境内(2012年8月)

階段を上りきったところからは集落を一望できたが,その風景はひとつ前の記事(古座川町平井地区1:集落の様子)に掲げたのでここでは割愛。

さて,境内にあった案内板を見ると,この背後の森は貴重なものらしい。案内板の概要は以下のようなものであった。

*当地方の典型的な照葉樹林であるイチイガシ林として人為的介入が少ないこと
*森林面積が狭いにも拘わらず森林構成樹種が多く,植物群落として貴重なこと
*ハルザキヤツシロランなどの貴重な草木類もみられること

Wap01_kozagawa_hirai_b3_2012           * 若宮八幡神社の社叢についての案内板(2012年8月)

残念ながら,私は植物については詳しくないため,案内板に書かれている植物を見分けることはできないが,下の写真にみるように,木の種類が多く,足元にも色々な植物が育っている印象である。

Wap01_kozagawa_hirai_b4_2012           * 若宮八幡神社の社叢(2012年8月)

靄がかかってみずみずしく白ばんでいるなかに薄く朝日が差し込む風景は,幻想的であるとともに,そこには何かが潜んでいて,人が立ち入るのを拒んでいるかのような雰囲気であった。

さて,神社を取り囲む,もしくは神社の裏手にある鎮守の森は,信仰の対象であることも多く,人の手が入ることが比較的少ないことから,その土地本来の植生が見られるとされている。また,神社の境内では,樹齢数百年,もしくは千年を超えるような巨木を御神木として祀っていることも多い。

まち歩きをしているときなど,遠くにこんもりとした森を見つけたら,そこを目指して歩くことが多い。そこは神社であることが多く,まちや集落を見て歩くときの起点となるからだ。

ただし,神社を見つけてはその由緒書きを見たりまち歩きの起点にしたりすることはあっても,鎮守の森そのものをじっくりと観察したことはない。

植生に関する勉強をして,鎮守の森そのものも楽しむことができるようにしようという目標ができた。が,この目標も,いつ達成されるのかわからない。

2012年9月10日 (月)

古座川町平井地区1:集落の様子

8月末,和歌山県南部の古座川町の平井を訪れた。めちゃくちゃ遠かった。これからしばらく,平井とその周辺を訪れた際の写真と土地の様子を紹介していきたい。


大きな地図で見る

古座川町は標高1,121mの大塔山に源を発する古座川の本支流沿いに狭小な耕地と集落が点在する形で町を形成している。町の96%を山林が占める典型的な山間地域で,過疎化・高齢化に悩まされている。

今回訪問した古座川町平井地区は,古座川の最上流部に位置し,古座川河口近くの町役場から車で50分かかる。戸数も100戸に及ばない山深い小さな集落だ。

この地には源氏の落人伝説があるという。山間の集落については平家の落人伝説を耳にする事が多いのだが,源氏というのは珍しい。

平井についた翌朝,少しの時間,集落を散歩した。前日から降り続いた雨が上がり,あたり一面に霧が立ち込めていた。集落の北の端にある若宮八幡神社にお参りし,そこから撮った風景が下の写真である。山間にわずかに広がる緩傾斜地に棚田や段々畑を整備して,その合間を縫うように走る道沿いに家が立ち並ぶ。雰囲気のある集落だ。

Wap01_kozagawa_hirai_a1_2012           * 若宮八幡神社からみる平井の集落(2012年8月)

写真左に見える2階建ての白い建物は廃校となった七川小学校平井分校である。あまり見て回ることができなかったが,耕作放棄地や廃屋もそれなりに存在しているようだ。

さて,神社をあとにして,集落の中心部と思われる場所に来た。

Wap01_kozagawa_hirai_a2_2012           * 集落の中心部にあるバス停(2012年8月)

写真のようにちょっとした広場になっており,錆びついたバス停と公衆電話があった。これだけ山深いと携帯電話がつながらない(会社によってはつながる)。携帯電話が広く普及した今にあっても,こうした山あいでは,公衆電話は重宝するものかもしれない。

また,バス停には時刻表らしきものが巻きつけてあるが,内容を確認するのを怠ってしまった。ネットで調べてみる限り,バスはスクールバスが数本あるだけで,それも好きな場所で乗り降りできるようなので,バス停もその機能を果たすことがあまりないのではないか。

あと,ゴミ捨て場の上にある看板は,平井の案内板。 「柚子の里 平井」,「若宮八幡神社社叢」,「広徳寺 水子供養」,「まぼろしの滝 10km」の字が見える。この前二者については,次の機会に触れるとしよう。なお,これらの案内は文字情報のみで地図形式になっていないが,位置関係は正しい。小さい集落なので,これでも用をなすであろう。

さて,集落の中心部であれば,交通の結節点以外の機能もあるはずだ。バス停の向かいには簡易郵便局が建っていた。

Wap01_kozagawa_hirai_a3_2012           * 平井簡易郵便局(2012年8月)

朝方早い時間しか見ていないため営業しているかどうかは不明だが,この近くには商店があった。そして,googleの地図で「古座川町平井」を検索すると,この簡易郵便局の住所が表示される。やはり,この辺りが平井のCBD(中心業務地区)なのだ。

こうした風景には,山あいの集落で進む過疎化の現状が垣間見られるわけだが,ここから何をどのように考えるかは難しい問題である,として思考停止するのが,良くも悪くも私の癖である。

初めて訪れる土地では,まず高い所に登って全体を俯瞰し,その土地の構図を把握したい,というのが地理屋さんの基本的な欲求の一つだと思うが,今回もそのような行動をとることになった。

ただ,集落の中心に出くわしたのは,宿舎がすぐそばにあっただけの話である。

私に地理的センスが備わっているのかどうかは不明だが,色々なものを見て,色々と想像を膨らませつつぶらぶら歩くことがそれなりに楽しいことは事実である。

2012年6月 3日 (日)

日前宮

和歌山で最初のお正月,三社参りを行った。今回はその最後,日前国懸(ひのくまくにかかす)神宮。これぞローカル線の無人駅という趣の日前宮駅から細い道を少し行くと、比較的交通量の多い道に出る。その向かいに日前宮がある。

Wac05_nichizengu1_2012           * 日前宮の太鼓橋と鳥居(2012年1月)

日前宮は、一つの境内に日前神宮・國懸神宮の2つの神社があり、それらを一括して日前宮と通称されるとのこと。式内社(名神大)の紀伊国一宮であり、旧社格は官幣大社である。かなり格式高い。

日前神宮は日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体として日前大神を奉祀し、國懸神宮は日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として國懸大神を奉祀している。

Wac05_nichizengu2_2012           * 日前神宮(2012年1月)

Wac05_nichizengu3_2012           * 國懸神宮(2012年1月)

この日前宮、調べてみると何かものすごい神宮であることがわかってきた。

◆わが国で最も古い歴史ある神社の一つ

◆神社のご神体は、天照大御神が天の岩窟に御隠れになられた神話と関係する。

◆大和からみて、伊勢が東の出口であるのに対し、紀伊は西の出口であることから、伊勢神宮とほぼ同等の力を持っていたらしい。
⇒朝廷は神階を贈らない別格の社として尊崇した。神位を授けられることがなかったのは伊勢神宮をおいては日前・國懸両神宮しかなかったという。(wikipediaより)

◆諸国の国造のなかで、紀伊国造は出雲国造と並んで優遇され、この両国造は朝廷で任命の儀式が行われていたことが知られている。(『和歌山県の地名』平凡社)

天孫降臨から始まる神話の舞台となった九州南部出身の私は、それなりに神話の世界に興味があるのだが、それはあくまで地元・鹿児島にかかわる話に限定されるものであった。

しかし、和歌山に来て、和歌山にも神話に関連する多くの地域があることを知った。和歌山については知らないことだらけである。勉強しないといけないことが多いことを感じる三社参りであった。

が、自らの勉強不足を自覚するために三つも神社をお参りしたのではない。由緒あり霊験あらたかであろうこれらの神社をお参りしたのだ。何か具体的な形で幸せが得られるに違いない。

どんな幸せなことが待っていてくれるのか、期待しながら一年を過ごすこととしようと心に固く誓った年初であった。

ちなみに、すでに半年過ぎたが、まだ何も起こっていない。

2012年5月 6日 (日)

竈山神社

和歌山で最初のお正月,三社参りを行った。今回はそのうちの一つ,竈山(かまやま)神社。和歌山電鐵貴志川線の竈山駅で下車してしばらく歩くと,巨大な鳥居が迎えてくれる。

Wac04_kamayama1_2012           * 竈山神社一の鳥居(2012年1月)

鳥居があるので神社もすぐ近くかと思ったら,ここから徒歩で10分ほどかかる。意外に長い道のりを歩いて神社の正面入り口にたどり着く。そこから,鳥居をくぐって参道を抜けると神門がある。その神門をくぐると正面に拝殿がある。そして,拝殿の横から本殿の方を見上げてみる。

Wac04_kamayama2_2012           * 竈山神社神門(2012年1月)

Wac04_kamayama3_2012           * 竈山神社拝殿(2012年1月)

Wac04_kamayama4_2012           * 拝殿脇から竈山神社本殿の方を見上げる(2012年1月)

境内の雰囲気といい,これらの建築物といい,かなり立派な神社である。

竈山神社(かまやまじんじゃ)は旧官幣大社で,御祭神は彦五瀬命(ひこいつせのみこと)。彦五瀬命は、初代天皇である神武天皇の兄にあたる。

この兄弟は,九州を出発して大和を目指すが,生駒山を越えて大和に入ろうとした際,長髄彦(ながすねひこ)の抵抗にあい,その戦闘のなかで彦五瀬命は負傷してしまう。

その後,太陽に向って戦うのは良 くないとして,東から回り込むために一行は南下するが,彦五瀬命は戦闘での傷がもとで,紀国の男之水門に着いたところで亡くなる。

彦五瀬命はその亡くなった場所で葬られたが,それがこの竃山の地であったとされる。神社の裏手には彦五瀬命の墓とされる陵墓がある。

さて,この神話,出発地が当時の日向で,それは現在の宮崎県と鹿児島県にわたる領域である。

また,この兄弟の曽祖父・瓊々杵尊(ににぎのみこと)は,高千穂に天降った後,笠沙の御前で木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)と出会って結婚するが,その地は鹿児島県の薩摩半島の南西部とされている。

さらに,この夫婦の間に生まれるのが山幸彦と海幸彦で,彼らの物語の舞台も薩摩半島南部とされている。

ついでに,山幸彦の子で神武天皇の父にあたる鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)は,大隅半島中部の吾平山上稜に祀られている。

このように,天孫降臨から東征前の神武天皇までの間の神話は南九州が舞台とされる。そして,私の出身地が鹿児島。私が帰省した際,こうした神話の伝承地を巡ることもある。

そうしたことから,南九州を舞台とする神話には興味があり,解説本に目を通しすこともしばしばあったが,舞台が南九州を離れた後の神話には詳しくなかった。

そうしたときに,この竈山神社と御祭神・彦五瀬命のことを知り,少々驚いた。南九州を離れた直後にこのような物語があったとは。

和歌山に何かしら縁があったのではないかという気がするようなしないようなという感覚を少しは持たなくもない竈山神社への参拝であった。

2012年3月23日 (金)

伊太祁曽神社

和歌山に赴任して最初に迎えたお正月,やはり地元の神社にもお参りをしなければということで,三社参りを行った。今回は伊太祁曽神社。延喜式神名帳では名神大社に列し、紀伊国一宮とされる(Wikiより),由緒ある神社である。

和歌山電鐵貴志川線の伊太祈曽駅で下車して南へ約5分,下の鳥居が迎えてくれる。

Wac03_itakiso1_2012           * 伊太祈曽神社入り口(2012年1月)

この鳥居をくぐって奥に進んでいくと右手にまた鳥居がある。その鳥居をくぐりぬけ,池に架かる太鼓橋を渡ると拝殿がその目の前が下の拝殿となる。

Wac03_itakiso2_2012           * 伊太祈曽神社の拝殿(2012年1月)

この拝殿の中央の階段を上るとその奥に本殿があるのだが,そちらはいい写真が取れなかったので割愛。さて,この伊太祁曽神社には変わったものがいくつかある。

Wac03_itakiso3_2012           * 木俣くぐりの木(2012年1月)

この木の俣をくぐると難を逃れるという。古事記神話に由来するそうだ。私の出身地・鹿児島でも神話の舞台とされる場所が多いのだが,和歌山もそういう場所が多い。この辺りの神話についてもちゃんと勉強したいと思う。

Wac03_itakiso4_2012           * 霊石おさる石(2012年1月)

こちらは猿の顔に見えることから「おさる石」と呼ばれる。首より上の病に霊験著しいとのこと。「賢くなれますように」と触ってきた。頭の悪さは病か?また,前述した「勉強したい」が実現するかどうかも不明。意志の弱さは病か?

触った効果が現れる日が待ち遠しい。

2012年3月15日 (木)

和歌山城からの眺め

和歌山市は,徳川御三家のひとつ紀州徳川家・紀州藩五十五万五千石の城下町として発展してきた。和歌山市観光協会発行のパンフレット『わかやまし観光ガイド』(平成22年)をみても,表紙は新緑に浮かぶ和歌山城であり,「紀州・徳川ゆかりの地」の紹介に多くのページを割いている。

Wac02_wakayamajo1_2011            * 和歌山城天守閣(2011年4月)

この写真は本丸御殿跡から撮ったと記憶している。桜と天守閣とを良いアングルで撮れる場所として知られているのか,この場所では写真愛好家と思われる方々が多数陣取っていた。

Wac02_wakayamajo2_2011           * 桜の時期の和歌山公園のにぎわい(2011年4月)

一方,花より団子な人々は桜の下で宴会。公園内には屋台も多数出店していて,お花見の人々でとても賑わっていた。私もおつまみを購入して城壁で一人酒。

さて,天守閣に登ると和歌山市内を一望できる。

Wac02_wakayamajo3_2011           * 和歌山城天守閣からみる紀ノ川河口方面(2011年4月)

お城の一角に満開の桜,その下に広がる市街地,紀ノ川から紀伊水道に至る水面,広々とした空,そして住友金属の和歌山工場。良い眺めだ。

最後に,天守閣から紀伊山地方面を眺めると,山の中腹に我が職場,和歌山大学が見える。

Wac02_wakayamajo4_2011           * 和歌山城天守閣からみる和歌山大学(2011年4月)

茶色の壁面に「NANKAI」の文字が浮かぶ南海電鉄・和歌山市駅の建物の上方に見えるのが和歌山大学。市街地の喧騒から隔絶された,自然豊かな高台に立地していることがわかる。

和歌山大学のキャンパス周辺マップに書かれた言葉:ようこそ,空に近い大学へ。

2012年3月 6日 (火)

研究棟からの眺め

現在所属する和歌山大学は,紀ノ川の北,和泉山脈の中腹に位置する。キャンパスからの見晴らしはとても良い。空が広く,海も見えて,市街地を見渡すことができる。

Wac01_wadai1_2012           * 教育学部棟からみる紀ノ川河口方面(2012年2月)

この写真で河口部は判別つかないが,河口部右岸に展開する住友金属和歌山製鉄所の工場群が見える。この写真より左手に和歌山の市街地が広がる。

海のない京都市内での生活が長かったこともあり,海が見えるだけで癒される。

Wac01_wadai2_2012           * 教育学部棟からみる紀伊水道(2012年2月)

写真右手奥に見えるのが淡路島。各種条件が整えば四国も見えるらしい。この写真でも最奥部に見えているのが四国なのではないかと思う。(画質を落としているのでわかりにくいかもしれません)

場所によっては以上のような風景を研究室から見渡すことができるものの,あいにく私の研究室は山側にある。そして窓からの風景の大部分は隣の建物。残念。

Wac01_wadai3_2011           * 教育学部棟東側のバルコニーから見えた虹(2011年8月)

私の研究室のすぐそばにあるバルコニーから裏の山までは近い。

4月になれば,眼下の建物の間はソメイヨシノの,山肌は山桜のピンク色で染められることになる。海が見えなくとも,木々の緑がすぐ近くにあるのは嬉しい。

のだが,夏の晩,多種多様な虫たちが室内の照明めがけて突撃してくるのには閉口する。

そんなに勢いよく窓にぶつかって大丈夫なのか?親指より胴体のでかい蜂が研究室の窓に沿って大きな音を立てて飛んでいたりすると本当に恐ろしい。カメムシ,来るな。街中で育った私は虫が苦手なのだ。

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