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2015年10月 6日 (火)

鹿児島市の世界遺産1:関吉の疎水溝

2015年7月,「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」が世界文化遺産に登録されることが決まったというニュースを聞いた。 「九州・山口の近代化産業遺産群」を世界遺産に登録しようという動きがあったのは知っていたので,ようやく登録されたかと,鹿児島出身の人間として,素直に喜んだ。

さて,鹿児島でこの世界文化遺産に登録された構成資産をみていくと,まずは旧集成館の反射炉跡,機械工場跡(現・尚古集成館本館),旧鹿児島紡績所技師館(現・異人館)が挙げられていた。これらは鹿児島市の一大観光スポットである磯地区にあり,地名にあらわれるように海岸沿いにある。実家から近いこともあり,よく訪れていた。

しかし,集成館以外の2つ,すなわち「寺山炭窯跡」と「関吉の疎水溝」は,どちらもマニアックである。「寺山炭窯跡」については知ってはいたが,遠くて訪れにくい場所ということもあり,見たことはなかった。一方,「関吉の疎水溝」は,そもそも聞いたことがなかった。これはぜひ現地で確認しておかなければということで,8月に帰省した折に,この2つの場所を訪れてみることにした。今回はそのうち「関吉の疎水溝」について。

「関吉の疎水溝」は稲荷川上流部の台地にある用水路とその取水口からなる。1850年代に島津斉彬により建設された工場群「集成館」では,大型動力は水車によるものであった。吉野台地から引き込んだ水を海岸沿いの集成館まで落として,水車の動力を得ていたのである。なお,集成館は,磯地区の島津家の別邸・仙巌園に隣接する。


日本近代化の出発点ともいえる集成館事業において,この水車動力及び用水は不可欠であり,それゆえ集成館事業を支えた関連遺産群として世界文化遺産に登録されたのである。

なお,「関吉の疎水溝」のどこまでが世界文化遺産に登録されたのかがよく分からない。パンフレットなどを見る限り,関吉の取水口とその近くの用水路(疎水溝)は写真が掲載されているものの,疎水溝は7kmに及ぶとされ,しかも途中で途切れているらしい。7km全体が登録されたのか,それともその一部が登録されたのか。時間がある時に確認したい。

さて,関吉の取水口は稲荷川上流部にある。稲荷川下流部は上町地区北東部を流れており,実家から徒歩 5分くらいでたどり着ける。また,上流部の台地上には母校・大龍小学校の校区が広がっており,その辺りに住む同級生はバスで通学していた。ちなみに,関吉の取水口は,わずかに大龍小学校の校区外である。鹿児島の中心市街地・天文館から車で25分前後の距離だが,案内板などはまだ仮のものしかなく,分かりにくい場所にある。

Kac05_sekiyoshi5_2015          1. 関吉の取水口から少し下流の稲荷川(2015年8月)

最近になって整備されたであろう駐車場に車をとめて関吉の取水口に向かう。その道中にはのどかな農村風景が広がる。川の流れも比較的きれいである。1の写真の軽トラックがとまっている辺りを右に折れて5分ほど歩くと関吉の取水口に着く。

Kac04_sekiyoshi1_2015          2. 関吉の取水口を下流からみる(2015年8月)

写真1での川の流れは緩やかであったが,そこから少し上流に行くと山間の渓流といった雰囲気になる。マイナスイオンに満ち溢れ,吹いてくる風が心地よい。奥に見えるのが関吉の取水口であろう。世界文化遺産登録が決定したこともあり,観光客もいるようだ。

Kac04_sekiyoshi2_2015        3. 関吉の取水口よりもわずかに上流部にある堰と取水口(2015年8月)

取水口というからには,堰を設けて水位を高めることで,通常の川面より高い位置にある用水路に水を流すのであろう。ということで,脇を流れる用水路に水が流入するところの近くまで行ってみたのが3の写真である。これはこれで由緒ありげな雰囲気があるのだが,こちらはお目当てのものではなく,世界文化遺産への登録が決まった関吉の取水口は下の写真4とのこと。

Kac04_sekiyoshi3_2015        4. 世界文化遺産への登録が決まった関吉の取水口(2015年8月)

少し分かりにくいが,中央下よりで,岩が川の流れを阻んで川幅が狭い場所がある。その左手に人工的に削られたような直線状の岩があり,縦長の溝が掘られている。また,川の水が溜まっている部分の右側の岩にも平面的に削られたような痕跡が見える。この両地点を結ぶ形で堰が築かれ,左手の壁面上部から取水していたようであり,こちらが登録が決定した取水口跡ということだ。

これらの内容は,現場で観光ボランティアの方に教えていただいたものである。登録決定から一月しか経っていないことから,それ以前から活動していたのであろう。こちらの質問にも淀みなく返答がなされ,かなり勉強されたのであろうと推察される。ボランティアの方に教えていただかなければ,誤解したまま実物を見過ごすところであった。いろいろ教えていただいて感謝するとともに,このような活動の重要性を改めて感じた。

なお,1850年代に築かれた堰は,明治半ばの水害の際に決壊したらしい。ただ,集成館事業終了後も,関吉の疎水溝は農業用水として使用されたことから,補修が進められたようだ。現在も稼働している写真3の堰もそうして築かれたものであろう。

Kac04_sekiyoshi4_2015          5. 関吉の取水口から続く用水路(疎水溝) (2015年8月)

写真3や4の地点で取水した水は,用水路を通って磯地区まで流れていた。写真5は関吉の取水口近くの用水路,すなわち疎水溝である。右手奥に見える水田に比べて一段高い所を水が流れている。7kmにも及ぶ距離で水を流すためには,土地の起伏に関わらず一定の傾斜で用水路を設けなければならない。加えて,ここは台地上で起伏が大きい。昔の人々の測量技術・土木技術の精度の高さに驚かされる。

また,この用水路の壁は比較的新しいものに見える。この用水路の起源は,1850年代に築かれた疎水溝,もしくはそれ以前から存在した吉野疎水にあるであろう。しかし,現在でも農業用水として使用されていることから,継続して補修されているのであろう。その主たる目的は,磯地区での集成館事業における工業用からシラス台地上での農業用へと転換したわけだが,現在にも生きる遺産として重要性が高い。

このように,堰と取水口と用水路からなる「関吉の疎水溝」を見てきたが,こうした堰や用水路自体は,比較的多くの場所で目にすることができるし,場所によっては中世やそれ以前にまでその起源をさかのぼることができるものもある。その点を考えると,この「関吉の疎水溝」の重要性は,日本の近代化の出発点の一つとなった集成館事業との関わりから認識されるべきものであろう。「明治日本の産業革命遺産」というストーリーの中でその重要性が認識されるのである。

身近なところに現存する,もしくは「発見」されるのを待っている地域の歴史的資産も,大きいストーリーの中に組み込まれてこそ,その重要性を認識しやすくなるのであろう。人文科学系の学問の社会貢献の一端がこういう場面にあるということを改めて実感した。

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