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2012年2月

2012年2月27日 (月)

南洲墓地

南洲墓地は実家のすぐ近くの小高い丘の上にある。

Kac03_nanshujinja1_2006           * 南洲墓地(2006年7月)

南洲墓地は西南戦争に敗れた薩軍兵士の墓地で,中央が西郷隆盛の墓。お正月,この墓地に隣接する西郷隆盛を祀る南洲神社に初詣に来る。子供の頃によく遊んでいた場所である。鬼ごっこ,かくれんぼなどに最適。ただし,怪我をすると治らない。

Kac03_nanshujinja2_2006           * 南洲墓地からみる桜島(2006年8月)

桜島の撮影ポイントは錦江湾沿いに多数あるが,この撮影ポイントは,物語性という点でかなり高く評価できるのではないか。日本で最後の内戦にして武士の世の終焉を告げる戦いとなった西南戦争で死亡した,西郷隆盛をはじめとする2023名の将士とともに桜島を眺めるのだから。

なお,このポイントは,西郷隆盛のお墓から左手,西郷南洲顕彰館に向かう途中にある階段の最上部である。

ちなみに,桜島の手前に広がる群青色の錦江湾は,ゴルフ練習場の茶色いネットとその支柱でその一部を遮られている。景観条例で城山からの眺望は確保される見通しだが,南洲墓地のこの角度からの眺望は守られるのか?

Kac03_nanshujinja3_2006           * 南洲墓地の一角に建つ常夜灯(2006年7月)

この常夜灯は,西郷隆盛と勝海舟との会談により江戸城が無血開城され,江戸市民が兵火を免れたことから,その感謝の意を込めて,昭和14年に東京市が建立したもの。小学生のころ,この常夜灯の中段までよじ登ろうとみんなで何度も駆け上がった記憶がある。

また,常夜灯の左手には,「ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがまにまに 果てし君かな」と彫られた勝海舟の歌碑がある。この歌碑は比較的新しい。小学生のころ,ここで野球をしていたとき,この歌碑はなかったはず。

ちなみに,この広場では,土曜日の15:00~17:00のどこかの時間では,薬丸自顕流の稽古を見ることができる(はず)。

木刀を持ち,「蜻蛉(トンボ)」の姿勢から全力疾走し,据えられた横木の手前で膝をつきながら急停止し,その後は叫びながらひたすら横木を打ち続け,「チェストーッ」と気合を入れた一振りで終える。これを複数人でひたすら連続する。先制攻撃重視,というより一撃必殺で,防御の技は一切ない(らしい)。

なお,私の記憶が正しければ,稽古は平服で行うし,稽古で使用する木刀も普通の丸い木の棒であるが,それはいつ何時敵と対峙するのかわからないからという理由であった。

2012年2月26日 (日)

鹿児島市上町地区1

鹿児島市の上町地区は私の生まれ育った地区。

Kac02_dairyu_a1_2009          * 母校・大龍小学校(2009年8月)

大龍小学校は,島津家が三州統一を果たした時の居城・内城跡に建つ。上町地区は,この内城を中心として戦国期に形成された城下町に由来する。

校舎に掲げられた「敬天愛人」と「奮励努力」は、それぞれ西郷隆盛と東郷平八郎の言葉。

Kac02_dairyu_a2_2009          * 篤姫の生家・今和泉島津家の本邸跡(2009年8月)

江戸時代の初期,島津家の居城は城山の麓の鹿児島(鶴丸)城に移った。城下町の中心は鶴丸城界隈へと移転するが,内城周辺は上級武士の館群となった。上の今和泉島津家も大龍小にほぼ隣接する。

現在,鹿児島を語るときに篤姫は欠かせない存在となっているが,大河ドラマが始まるまで,鹿児島で篤姫は全く無名であった。『篤姫』以前,このお屋敷が紹介される場合にも,城下町の面影を残す石垣の屋敷というもので,篤姫のことが語られることは全くといってよいほどなかった。私自身も知らなかった。

Kac02_dairyu_a3_2012          * 大龍小南東角からみる南洲門前通り(2012年1月)

大龍小南東角から浄光明寺(丘の上)を眺めた写真。浄光明寺は廃仏毀釈で廃寺となるが,その後再興。なお,明治期,浄光明寺跡は西南戦争戦死者を弔う場所となり,南洲墓地や南洲神社ができた。

この角度からみると,南洲門前通りは城下町の趣を残す落ち着いた街並みという印象を与えるが,南洲神社入り口の交差点からみると雰囲気がだいぶ異なる。

Kac02_dairyu_a4_2012          * 南洲神社入り口からみる南洲門前通り(2012年1月)

中央左手が今和泉島津家の本邸跡の石垣。その目前には高層マンションがそびえる。通りの奥のほうでも高層マンションの建設が進んでいる。これより南洲神社側には中層マンションが建つ。

この辺りは上級武士の館群であったことから,比較的敷地面積の広い家が多かった。しかし,それらは次第に取り壊されていき,バブル期前後はワンルームマンション,近年では家族向けマンションへと変化していった。中には広い駐車場へと変化したものもある。土地の一区画が大きいだけに,これらの変化が大きく現れる。

戦国期の城下町に由来する上級武士の館群であった上町地区は,篤姫の「発見」も含め,近年大きな変貌を遂げつつある。

雪の桜島

Kac01_sakurajima2006

2006年の正月に実家の近くの南洲神社から撮影した桜島です。

南国・鹿児島でも,年に数回は雪が降り,桜島も雪化粧をすることがあります。ただし,気温と地熱の高さのため,桜島の雪は昼過ぎには融けてしまいます。

なお,この2006年は,豪雪で大変な年でした。

ブログのかいせつ

ブログを開設しました。

主たる使用法は,訪れた先で撮影した写真を掲載することにあります。

たまにはニュースなどを掲げることがあるかもしれません。

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