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2015年10月 6日 (火)

鹿児島市の世界遺産1:関吉の疎水溝

2015年7月,「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」が世界文化遺産に登録されることが決まったというニュースを聞いた。 「九州・山口の近代化産業遺産群」を世界遺産に登録しようという動きがあったのは知っていたので,ようやく登録されたかと,鹿児島出身の人間として,素直に喜んだ。

さて,鹿児島でこの世界文化遺産に登録された構成資産をみていくと,まずは旧集成館の反射炉跡,機械工場跡(現・尚古集成館本館),旧鹿児島紡績所技師館(現・異人館)が挙げられていた。これらは鹿児島市の一大観光スポットである磯地区にあり,地名にあらわれるように海岸沿いにある。実家から近いこともあり,よく訪れていた。

しかし,集成館以外の2つ,すなわち「寺山炭窯跡」と「関吉の疎水溝」は,どちらもマニアックである。「寺山炭窯跡」については知ってはいたが,遠くて訪れにくい場所ということもあり,見たことはなかった。一方,「関吉の疎水溝」は,そもそも聞いたことがなかった。これはぜひ現地で確認しておかなければということで,8月に帰省した折に,この2つの場所を訪れてみることにした。今回はそのうち「関吉の疎水溝」について。

「関吉の疎水溝」は稲荷川上流部の台地にある用水路とその取水口からなる。1850年代に島津斉彬により建設された工場群「集成館」では,大型動力は水車によるものであった。吉野台地から引き込んだ水を海岸沿いの集成館まで落として,水車の動力を得ていたのである。なお,集成館は,磯地区の島津家の別邸・仙巌園に隣接する。


日本近代化の出発点ともいえる集成館事業において,この水車動力及び用水は不可欠であり,それゆえ集成館事業を支えた関連遺産群として世界文化遺産に登録されたのである。

なお,「関吉の疎水溝」のどこまでが世界文化遺産に登録されたのかがよく分からない。パンフレットなどを見る限り,関吉の取水口とその近くの用水路(疎水溝)は写真が掲載されているものの,疎水溝は7kmに及ぶとされ,しかも途中で途切れているらしい。7km全体が登録されたのか,それともその一部が登録されたのか。時間がある時に確認したい。

さて,関吉の取水口は稲荷川上流部にある。稲荷川下流部は上町地区北東部を流れており,実家から徒歩 5分くらいでたどり着ける。また,上流部の台地上には母校・大龍小学校の校区が広がっており,その辺りに住む同級生はバスで通学していた。ちなみに,関吉の取水口は,わずかに大龍小学校の校区外である。鹿児島の中心市街地・天文館から車で25分前後の距離だが,案内板などはまだ仮のものしかなく,分かりにくい場所にある。

Kac05_sekiyoshi5_2015          1. 関吉の取水口から少し下流の稲荷川(2015年8月)

最近になって整備されたであろう駐車場に車をとめて関吉の取水口に向かう。その道中にはのどかな農村風景が広がる。川の流れも比較的きれいである。1の写真の軽トラックがとまっている辺りを右に折れて5分ほど歩くと関吉の取水口に着く。

Kac04_sekiyoshi1_2015          2. 関吉の取水口を下流からみる(2015年8月)

写真1での川の流れは緩やかであったが,そこから少し上流に行くと山間の渓流といった雰囲気になる。マイナスイオンに満ち溢れ,吹いてくる風が心地よい。奥に見えるのが関吉の取水口であろう。世界文化遺産登録が決定したこともあり,観光客もいるようだ。

Kac04_sekiyoshi2_2015        3. 関吉の取水口よりもわずかに上流部にある堰と取水口(2015年8月)

取水口というからには,堰を設けて水位を高めることで,通常の川面より高い位置にある用水路に水を流すのであろう。ということで,脇を流れる用水路に水が流入するところの近くまで行ってみたのが3の写真である。これはこれで由緒ありげな雰囲気があるのだが,こちらはお目当てのものではなく,世界文化遺産への登録が決まった関吉の取水口は下の写真4とのこと。

Kac04_sekiyoshi3_2015        4. 世界文化遺産への登録が決まった関吉の取水口(2015年8月)

少し分かりにくいが,中央下よりで,岩が川の流れを阻んで川幅が狭い場所がある。その左手に人工的に削られたような直線状の岩があり,縦長の溝が掘られている。また,川の水が溜まっている部分の右側の岩にも平面的に削られたような痕跡が見える。この両地点を結ぶ形で堰が築かれ,左手の壁面上部から取水していたようであり,こちらが登録が決定した取水口跡ということだ。

これらの内容は,現場で観光ボランティアの方に教えていただいたものである。登録決定から一月しか経っていないことから,それ以前から活動していたのであろう。こちらの質問にも淀みなく返答がなされ,かなり勉強されたのであろうと推察される。ボランティアの方に教えていただかなければ,誤解したまま実物を見過ごすところであった。いろいろ教えていただいて感謝するとともに,このような活動の重要性を改めて感じた。

なお,1850年代に築かれた堰は,明治半ばの水害の際に決壊したらしい。ただ,集成館事業終了後も,関吉の疎水溝は農業用水として使用されたことから,補修が進められたようだ。現在も稼働している写真3の堰もそうして築かれたものであろう。

Kac04_sekiyoshi4_2015          5. 関吉の取水口から続く用水路(疎水溝) (2015年8月)

写真3や4の地点で取水した水は,用水路を通って磯地区まで流れていた。写真5は関吉の取水口近くの用水路,すなわち疎水溝である。右手奥に見える水田に比べて一段高い所を水が流れている。7kmにも及ぶ距離で水を流すためには,土地の起伏に関わらず一定の傾斜で用水路を設けなければならない。加えて,ここは台地上で起伏が大きい。昔の人々の測量技術・土木技術の精度の高さに驚かされる。

また,この用水路の壁は比較的新しいものに見える。この用水路の起源は,1850年代に築かれた疎水溝,もしくはそれ以前から存在した吉野疎水にあるであろう。しかし,現在でも農業用水として使用されていることから,継続して補修されているのであろう。その主たる目的は,磯地区での集成館事業における工業用からシラス台地上での農業用へと転換したわけだが,現在にも生きる遺産として重要性が高い。

このように,堰と取水口と用水路からなる「関吉の疎水溝」を見てきたが,こうした堰や用水路自体は,比較的多くの場所で目にすることができるし,場所によっては中世やそれ以前にまでその起源をさかのぼることができるものもある。その点を考えると,この「関吉の疎水溝」の重要性は,日本の近代化の出発点の一つとなった集成館事業との関わりから認識されるべきものであろう。「明治日本の産業革命遺産」というストーリーの中でその重要性が認識されるのである。

身近なところに現存する,もしくは「発見」されるのを待っている地域の歴史的資産も,大きいストーリーの中に組み込まれてこそ,その重要性を認識しやすくなるのであろう。人文科学系の学問の社会貢献の一端がこういう場面にあるということを改めて実感した。

2015年9月23日 (水)

奄美3:用海岸でモーターパラグライダー

大浜海浜公園を訪れた後,名瀬で遅めの昼食をとった。今回の旅で残念だったのは,鶏飯の美味しいものに巡り合えなかったことである。どこも出汁がいまいち。案内してくれた人いわく,自宅のものが一番おいしいとのこと。そのパターン,よくある。

また,名物という山羊汁,途中までは美味しくいただいたが,急にあの独特の臭みを感じるようになり,そこから身体が受け付けなくなってしまった。基本的に何でも美味しくいただく私だが,山羊汁を残さず食べきるのは無理だった。

ついでに,「酒には呑まれろ」の私,今回はお店の人のお勧めの黒糖焼酎をいただいたが,こちらもあまり合わなかった。黒糖焼酎はかなり好きな方で,普段からよく飲んでいるものの,合うものとそうではないものとがあるようだ。

ただし,その他のものは美味しくいただいた。奄美はおいしいものが多いように感じた。

さて,昼食を済ませた後,笠利崎の南に広がる用海岸で,モーターパラグライダーによる遊覧飛行を経験した。


奄美は海も海岸もきれいなところが多いが,この用海岸,ガイドブックなどにはほとんど記述がない。穴場というのではなく,取り立てて特徴のない海岸なのであろうか。それとも何か理由があるのだろうか。そこはよく分らない。が,十分すぎるほどきれい。

Kap01_amami_c1_201508            * 浜辺からみる用海岸(2015年8月)

沖にまで広がるサンゴ礁の外礁が外海の荒波を受け止め,それより陸地側はほとんど波が立たない静かな浅い礁池となっている。そして,その浅い礁池の部分の海水は緑がかった水色をしており,外礁より外海の深い青色とは対照的である。これだけきれいでも注目されないとは,どれだけきれいなビーチがあるというのだ,奄美には。

Kap01_amami_c2_201508            * モーターパラグライダー(2015年8月)

さて,モーターパラグライダー,操縦者の方とお客さんとの二人乗り。モーターが付いているとはいえ,風がないと飛べないとのこと。また,風の状態に応じて飛ぶ場所も変更するらしい。この日は昼ごろまで風が吹かず,飛べないかもしれないとの連絡を受けていたが,昼過ぎになって風が出てきて飛べることとなった。やはり日頃の善行が肝要である。

Kap01_amami_c3_201508            * 上空からみる用海岸(2015年8月)

パラグラーダーで上空へ。まず,真下に広がる用海岸。8月の16時過ぎだというのに見事なまでに人がいない。ただ,帰りがけに2組の家族を見かけた。この2家族でこれだけのビーチを独占できるのである。なんともうらやましい。

Kap01_amami_c4_201508_2             * 上空から用海岸とその南方をみる(2015年8月)

さらに上空まで飛行する。外礁を挟んで外洋側の深い青色と陸地側の浅い礁池との色のコントラストが印象的である。礁池の部分では海底のサンゴ礁の色がそのまま見えているように感じるが,所々に白波が立っていることや海岸の白い砂と色が違うことなどから,それらが海水の下にあることがわかる。海水の透明度がとても高いのである。

ただ,少し残念なのが,この日は靄がかかっており,遠くが霞んでしまっていることである。左手最奥部があやまる岬付近と思われるが,かなり見えにくい。ちなみに,手前に見えるちょっとした岬とあやまる岬との直線距離は3kmほど。この日の視程は10kmは超えないであろう。

それでも,用海岸から砂浜とサンゴ礁が海岸沿いにずっと連なっている様子が見える。そして,これらの海岸,Google Mapでは海岸名が出てこない。地名を付すほどのものではないということか? それだけ奄美はきれいな海岸に恵まれているのである。

Kap01_amami_c6_201508            * 上空から用海岸とその先の笠利崎をみる(2015年8月)

パラグライダーは方向転換し,南から用海岸とその先の笠利崎を眺めることになった。海を見ていると,中央やや奥にちょっとしたサンゴ礁の切れ目があり,深い青色に見える海水が陸地側に入り込んでいる。

Kap01_amami_c7_201508            * 上空からみるリーフギャップ(2015年8月)

このようなリーフギャップがサンゴ礁の所々にできていて,透明感あふれる緑がかった水色の海水がサンゴ礁の景色にアクセントをつけている。しかし,こういうところから外洋へと海水が流れ出していくであろうことを想像すると,波の立たない静かな礁池でも,油断はできない。離岸流が発生するからである。ガイドブックでも離岸流についての注意書きが掲載されているものがあった。離岸流の状況については地元の人に聞くのがよいそうだ。静かな海とは言え,注意が必要だ。

なお,ちょうどこの辺りにはウミガメがまさしく大量に浮かんでいたものの,それらはいい感じに撮影できていなかったので,紹介するのは断念。これだけきれいなビーチがこんなに長く続いていて,しかもほとんど人がいない。そりゃ~,ウミガメもたくさんやってくるよね。なお,4~8月はウミガメの産卵シーズンらしい。

と,こんな感じでモーターパラグライダーによる遊覧飛行は終了。飛行時間は20分くらい。30代半ばになって急に高所恐怖症となった私であったが,それほど怖くは感じなかった。8000円ちょっとと少しお高いが,経験する価値は十二分にあるだろう。

さて,遊覧飛行が終了して帰路へ。楽しい時間もいよいよ終ろうとしている。明日からまた日常生活に戻るのか,いやだなぁ~,などと考えながら空港までの道を急いでいたところ,我々の行く手を遮るものが。それはサトウキビ畑からヒョイと出てきたトラクター。ちょっと雰囲気を出してみようということで,画像は少しいじってみた。

Kap01_amami_c8_201508            * サトウキビ畑とトラクター(2015年8月)

とてものどかで,なんとなく懐かしいけど,楽しい時間が終わりを迎えてどことなく寂しい,そんな雰囲気がただよってくる風景だった。

こんな感じで強行日程による奄美観光は終わりを告げた。今回は,とにかく奄美のいいところをたくさん紹介してほしいとリクエストしたので強行軍となったが,おかげで密度の濃い充実した旅となった。

次に奄美を訪れる機会がある時は,予定はあまり詰めずにゆっくり過ごして,別のかたちで奄美の良いところを満喫したいと思う。

2015年9月 7日 (月)

奄美2:奄美海洋展示館

奄美では,マングローブの原生林を訪れた後,大浜海浜公園内にある奄美海洋展示館を見学した。

大浜海浜公園は名瀬から比較的近くにある綺麗なビーチで,海水浴客もいたが,混雑している様子はなく,のびのびと気持ちよさそうに海水浴を楽しんでいる感じであった。しかし,案内してくれた知り合いによると,昼間に泳ぐのは観光客とのこと。地元の人は,日差しがきつい日中ではなく朝方や夕方に泳ぐらしい。

さて,この奄美海洋展示館,入ってすぐに奄美の海を再現したサンゴ礁大水槽があった。そこにはウミガメや様々な魚たちが悠然と泳いでいた。

Kap01_amami_b2_201508                * 水槽を泳ぐ魚たち(2015年8月)

この水槽の上では,ウミガメや魚たちにエサやりを体験することができるというので,実際にやってみた。エサは普通のレタス。指でつまんだレタスを垂らすとウミガメが首を伸ばしてパクッと食い付いてきた。あまり近くでやると指を噛まれることがあるらしい。ちょっとしたスリルを味わえる。そして,ウミガメを直に触れること,さらにはつかんで持ち上げることもできた。ウミガメの皮膚はフニフニとやわらかい。なかなかできない貴重な体験である。

また,このレタスにはほかの魚たちも元気にパクついていた。魚が普通に泳げるやや深くなっているところでは,熾烈なエサ獲得闘争が行われていた。レタスにそこまで食い付くか?と素朴に驚いた。そうした中,すこしでもその闘争を避けようとして,手前の浅瀬になっているところまで上がってくる魚がいた。でも,浅瀬なため,普通には泳げない。ということで,浅瀬にやってくる魚は体を90度倒し,横向きになりながら必死に泳いでエサにありつこうとしていた。そこまでして食うものか,レタスって。という感じで,なかなか見ることのない光景を見ることができた。

ウミガメや魚たちのエサやり体験,楽しくて夢中になっていたので,写真は撮っていない。

さて,楽しいエサやり体験が終わり,水槽の中を見ることのできる場所まで戻ると,立ち泳ぎをしてその場から動かない魚がいることに気が付いた。なんだろう?と思ってじっくり見ていると,泳いでいるというふうでもない。ますますなんだ?と不思議に思いながら近くの解説を読むと,それはコバンザメであった。水槽の壁面に吸い付いたままじっとしている様子。泳ぐことに疲れたのか?生きていくってたいへんだよね。たまには楽をしたいその気持ち,よくわかるよ。

Kap01_amami_b3_201508                * 壁面に吸い付くコバンザメ(2015年8月)

今回は時間のない強行軍だったので,ここでは奄美海洋展示館を見学しただけで終わったが,この大浜海浜公園,そもそもきれいなビーチがあるし(日本の渚百選に選ばれている),公園内には,奄美の歴史文化的建造物である高倉が展示されている。また,夕日や星空もきれいとのこと。

時間のある時にゆっくり訪れたい場所が奄美にはたくさんあるようだ。

2015年9月 2日 (水)

奄美1:マングローブ原生林

3年ぶりの更新。多く?の人に「近いうちに更新します」と言いながら,放置しちゃっていた。

さて,鹿児島出身の私,興味がありながらも離島に行ったことが一度もなかったのだが(沖縄は行ったことある),今年に入り,離島を訪問する機会を得た。人生初離島である。それも2度も。そして,予想に違わず,良い風景をたくさん見ることができた。そこで,これを契機にブログを再開しようと考えたのである。

なお,その2度とは,ゴールデンウィークに姉家族と母と甑島を訪れたものと,8月に知り合いの案内で奄美を訪れたものである。まずは記憶の定かなうちに,ということで奄美から。

今回の奄美訪問は強行軍で,滞在時間が24時間未満だったので,奄美のいい所をひたすら案内してもらうという感じだった。夕方の便で奄美に着いて,晩は名瀬で食事とお酒をいただき,翌日にあちこち見てまわって夕方の便で帰った。今回紹介するのは,2日目の午前中に訪れた住用町のマングローブ原生林である。

このマングローブ,干潮時には干潟が現れ,シオマネキのダンスなどが見られるとのことだが,満潮時に訪れて水面からマングローブを見ることにした。また,ガイドブックによると,ここではカヌー体験が基本のようだが,ガイド付きの遊覧船に乗ることにした。

役勝川沿いの船着き場から遊覧船(数名しか乗れない)に乗船。雲は多いものの薄雲が多く,青空も見える。太陽は雲に隠れており,厳しい日差しを浴びずにすむし,眩しすぎることもない。船に乗るには絶好の日和だ。日頃の行いが功を奏したのである。善行は積むべきものである。

Kap01_amami_a1_201508             * 役勝川両岸に広がるマングローブ(2015年8月)

さて,川を下っていくと,メヒルギが花を咲かせていた。ガイドブックには見頃は6月とあるが,まだまだたくさん咲いていた。また,オヒルギの花も咲いていたが,こちらの見頃は8月でちょうど真っ盛り。たまたまどちらの花も楽しめる時期に訪れたようだ。やはり日頃の行いは大切だ。

Kap01_amami_a2_201508             * メヒルギの花(2015年8月)

Kap01_amami_a3_201508             * オヒルギの花(2015年8月)

この住用のマングローブがオヒルギの北限地と言われており,「国定公園特別保護区」に指定されている。一方,メヒルギの方は,鹿児島市喜入町に群落があるが,こちらは人為的に持ち込まれたものだという。

さて,船は住用川の支流?のマングローブ原生林の中に進んでいく。座っていても頭をぶつけそうになるくらい,場合によっては船の高さギリギリのところまで,木の枝が伸びてきている。木の枝にぶつからないよう注意しながら,なかなか目にすることのないマングローブの風景に息をのむ。なお,大雨が降ると,ハブが流れてくることがあるらしい。

Kap01_amami_a4_201508             * マングローブ原生林の中へ(2015年8月)

マングローブ原生林を進むと,木の葉などに加え,白い綿状のものが流れているのが見えた。

Kap01_amami_a5_201508             * 川を流れる白い綿状のもの(2015年8月)

なんであろう?と近くに流れてきたものを見てみると,それはサガリバナであった。

Kap01_amami_a6_201508             * 川面を流れるサガリバナ(2015年8月)

このサガリバナ,マングローブ近くの湿地に自生し,夜間に花が咲き,甘い芳香を放つとのことだが,前日の夜に名瀬で飲み歩いていた際に街中でも見かけた。

Kap01_amami_a7_201508             * 夜に咲き誇るサガリバナ(2015年8月)

サガリバナはきれいな花を咲かせることから,街中でも育てられているのであろう。ただ,この花は朝には散ってしまうとのこと。つまり,川面に浮かぶサガリバナは,夜に花を咲かせたものが朝になって散ってしまい,その散った花が流れてきていたのである。

マングローブ原生林の中は,川の流れが穏やかで波が立っていないことから,水面は鏡のように反射している。その上を白い綿状の瑞々しいサガリバナが上流のほうからゆっくりいくつも流れてくる。夜に咲いて一晩で散ってしまうという話もあわせて,なにやら幻想的だ。

ちなみに,太陽が高くなったあとのサガリバナ,陸の上で散ったものや落ちずに枝にとどまっていたものは,しなびているうえに茶色く変色していて,ちょっと可哀想な感じがした。

さて,船は川の本流に戻って船着き場に向かう。雲が多くて霞んでいたものの,それがかえって遠近感を増す効果をもたらしていた。加えて,この日は風もなく,本流の方も川面が鏡のように反射していた。遠くを見ていると,どこまでが水面でどこからが空かがわからなくなる。ゆらゆらと心地よい船の揺れと合わせ,空中に浮かんでいるかのような感覚に襲われた。

Kap01_amami_a8_201508             * 穏やかな役勝川の水面(2015年8月)

また,船から体を乗り出して川底を見てみると,そこそこな大きさの魚があっちにこっちにと泳ぎ回っている。話を聞くとリュウキュウアユとのこと。リュウキュウを冠しているが,沖縄本島では絶滅したため,世界でこのあたりにしか生息していないらしい。

住用川と役勝川の河口部に広がるこのマングローブ原生林,国内で2番目の規模を誇るものであり,マングローブの自然分布としては北限にあたるという。そして,多くの動植物が生息し,リュウキュウアユをはじめとして珍しいものが多いという。貴重な財産である。

今回は満潮時に船からマングローブをみたわけだが,干潮時にも見どころがたくさんあるようだ。また機会を見つけて,干潮時のマングローブも見てみたいと思う。

【参考にした資料など】Wikipedia,『かごしまよかとこ100選 「四季の旅」』(鹿児島県観光交流局観光課,2007年),『地球の歩き方JAPAN 奄美大島 喜界島 加計呂麻島 徳之島』(ダイヤモンド・ビッグ社,2015年)

2012年9月14日 (金)

古座川町平井地区2:若宮八幡神社

平井到着の翌日の早朝,散歩に出かけることにした。

地形図で集落の北に神社があるのを確認していたので,訪れてみた。神社までは標高差30mほどの階段を上らないといけないことは地形図からも判別できた。その分,見晴らしもよいであろうという予想もあった。

Wap01_kozagawa_hirai_b1_2012           * 若宮八幡神社に上がる階段(2012年8月)

この階段を上がろうとしたところ,地元の人に声をかけられた。「最近掃除をしていなくて・・・」と申し訳なさそうにお話されていたが,境内がそれほど荒れていることもなく,また蜘蛛の巣に引っかかることもなかった。日常的にお参りされている方がいるのであろう。

Wap01_kozagawa_hirai_b2_2012           * 若宮八幡神社の境内(2012年8月)

階段を上りきったところからは集落を一望できたが,その風景はひとつ前の記事(古座川町平井地区1:集落の様子)に掲げたのでここでは割愛。

さて,境内にあった案内板を見ると,この背後の森は貴重なものらしい。案内板の概要は以下のようなものであった。

*当地方の典型的な照葉樹林であるイチイガシ林として人為的介入が少ないこと
*森林面積が狭いにも拘わらず森林構成樹種が多く,植物群落として貴重なこと
*ハルザキヤツシロランなどの貴重な草木類もみられること

Wap01_kozagawa_hirai_b3_2012           * 若宮八幡神社の社叢についての案内板(2012年8月)

残念ながら,私は植物については詳しくないため,案内板に書かれている植物を見分けることはできないが,下の写真にみるように,木の種類が多く,足元にも色々な植物が育っている印象である。

Wap01_kozagawa_hirai_b4_2012           * 若宮八幡神社の社叢(2012年8月)

靄がかかってみずみずしく白ばんでいるなかに薄く朝日が差し込む風景は,幻想的であるとともに,そこには何かが潜んでいて,人が立ち入るのを拒んでいるかのような雰囲気であった。

さて,神社を取り囲む,もしくは神社の裏手にある鎮守の森は,信仰の対象であることも多く,人の手が入ることが比較的少ないことから,その土地本来の植生が見られるとされている。また,神社の境内では,樹齢数百年,もしくは千年を超えるような巨木を御神木として祀っていることも多い。

まち歩きをしているときなど,遠くにこんもりとした森を見つけたら,そこを目指して歩くことが多い。そこは神社であることが多く,まちや集落を見て歩くときの起点となるからだ。

ただし,神社を見つけてはその由緒書きを見たりまち歩きの起点にしたりすることはあっても,鎮守の森そのものをじっくりと観察したことはない。

植生に関する勉強をして,鎮守の森そのものも楽しむことができるようにしようという目標ができた。が,この目標も,いつ達成されるのかわからない。

2012年9月10日 (月)

古座川町平井地区1:集落の様子

8月末,和歌山県南部の古座川町の平井を訪れた。めちゃくちゃ遠かった。これからしばらく,平井とその周辺を訪れた際の写真と土地の様子を紹介していきたい。


大きな地図で見る

古座川町は標高1,121mの大塔山に源を発する古座川の本支流沿いに狭小な耕地と集落が点在する形で町を形成している。町の96%を山林が占める典型的な山間地域で,過疎化・高齢化に悩まされている。

今回訪問した古座川町平井地区は,古座川の最上流部に位置し,古座川河口近くの町役場から車で50分かかる。戸数も100戸に及ばない山深い小さな集落だ。

この地には源氏の落人伝説があるという。山間の集落については平家の落人伝説を耳にする事が多いのだが,源氏というのは珍しい。

平井についた翌朝,少しの時間,集落を散歩した。前日から降り続いた雨が上がり,あたり一面に霧が立ち込めていた。集落の北の端にある若宮八幡神社にお参りし,そこから撮った風景が下の写真である。山間にわずかに広がる緩傾斜地に棚田や段々畑を整備して,その合間を縫うように走る道沿いに家が立ち並ぶ。雰囲気のある集落だ。

Wap01_kozagawa_hirai_a1_2012           * 若宮八幡神社からみる平井の集落(2012年8月)

写真左に見える2階建ての白い建物は廃校となった七川小学校平井分校である。あまり見て回ることができなかったが,耕作放棄地や廃屋もそれなりに存在しているようだ。

さて,神社をあとにして,集落の中心部と思われる場所に来た。

Wap01_kozagawa_hirai_a2_2012           * 集落の中心部にあるバス停(2012年8月)

写真のようにちょっとした広場になっており,錆びついたバス停と公衆電話があった。これだけ山深いと携帯電話がつながらない(会社によってはつながる)。携帯電話が広く普及した今にあっても,こうした山あいでは,公衆電話は重宝するものかもしれない。

また,バス停には時刻表らしきものが巻きつけてあるが,内容を確認するのを怠ってしまった。ネットで調べてみる限り,バスはスクールバスが数本あるだけで,それも好きな場所で乗り降りできるようなので,バス停もその機能を果たすことがあまりないのではないか。

あと,ゴミ捨て場の上にある看板は,平井の案内板。 「柚子の里 平井」,「若宮八幡神社社叢」,「広徳寺 水子供養」,「まぼろしの滝 10km」の字が見える。この前二者については,次の機会に触れるとしよう。なお,これらの案内は文字情報のみで地図形式になっていないが,位置関係は正しい。小さい集落なので,これでも用をなすであろう。

さて,集落の中心部であれば,交通の結節点以外の機能もあるはずだ。バス停の向かいには簡易郵便局が建っていた。

Wap01_kozagawa_hirai_a3_2012           * 平井簡易郵便局(2012年8月)

朝方早い時間しか見ていないため営業しているかどうかは不明だが,この近くには商店があった。そして,googleの地図で「古座川町平井」を検索すると,この簡易郵便局の住所が表示される。やはり,この辺りが平井のCBD(中心業務地区)なのだ。

こうした風景には,山あいの集落で進む過疎化の現状が垣間見られるわけだが,ここから何をどのように考えるかは難しい問題である,として思考停止するのが,良くも悪くも私の癖である。

初めて訪れる土地では,まず高い所に登って全体を俯瞰し,その土地の構図を把握したい,というのが地理屋さんの基本的な欲求の一つだと思うが,今回もそのような行動をとることになった。

ただ,集落の中心に出くわしたのは,宿舎がすぐそばにあっただけの話である。

私に地理的センスが備わっているのかどうかは不明だが,色々なものを見て,色々と想像を膨らませつつぶらぶら歩くことがそれなりに楽しいことは事実である。

2012年6月 3日 (日)

日前宮

和歌山で最初のお正月,三社参りを行った。今回はその最後,日前国懸(ひのくまくにかかす)神宮。これぞローカル線の無人駅という趣の日前宮駅から細い道を少し行くと、比較的交通量の多い道に出る。その向かいに日前宮がある。

Wac05_nichizengu1_2012           * 日前宮の太鼓橋と鳥居(2012年1月)

日前宮は、一つの境内に日前神宮・國懸神宮の2つの神社があり、それらを一括して日前宮と通称されるとのこと。式内社(名神大)の紀伊国一宮であり、旧社格は官幣大社である。かなり格式高い。

日前神宮は日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体として日前大神を奉祀し、國懸神宮は日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として國懸大神を奉祀している。

Wac05_nichizengu2_2012           * 日前神宮(2012年1月)

Wac05_nichizengu3_2012           * 國懸神宮(2012年1月)

この日前宮、調べてみると何かものすごい神宮であることがわかってきた。

◆わが国で最も古い歴史ある神社の一つ

◆神社のご神体は、天照大御神が天の岩窟に御隠れになられた神話と関係する。

◆大和からみて、伊勢が東の出口であるのに対し、紀伊は西の出口であることから、伊勢神宮とほぼ同等の力を持っていたらしい。
⇒朝廷は神階を贈らない別格の社として尊崇した。神位を授けられることがなかったのは伊勢神宮をおいては日前・國懸両神宮しかなかったという。(wikipediaより)

◆諸国の国造のなかで、紀伊国造は出雲国造と並んで優遇され、この両国造は朝廷で任命の儀式が行われていたことが知られている。(『和歌山県の地名』平凡社)

天孫降臨から始まる神話の舞台となった九州南部出身の私は、それなりに神話の世界に興味があるのだが、それはあくまで地元・鹿児島にかかわる話に限定されるものであった。

しかし、和歌山に来て、和歌山にも神話に関連する多くの地域があることを知った。和歌山については知らないことだらけである。勉強しないといけないことが多いことを感じる三社参りであった。

が、自らの勉強不足を自覚するために三つも神社をお参りしたのではない。由緒あり霊験あらたかであろうこれらの神社をお参りしたのだ。何か具体的な形で幸せが得られるに違いない。

どんな幸せなことが待っていてくれるのか、期待しながら一年を過ごすこととしようと心に固く誓った年初であった。

ちなみに、すでに半年過ぎたが、まだ何も起こっていない。

2012年5月 6日 (日)

竈山神社

和歌山で最初のお正月,三社参りを行った。今回はそのうちの一つ,竈山(かまやま)神社。和歌山電鐵貴志川線の竈山駅で下車してしばらく歩くと,巨大な鳥居が迎えてくれる。

Wac04_kamayama1_2012           * 竈山神社一の鳥居(2012年1月)

鳥居があるので神社もすぐ近くかと思ったら,ここから徒歩で10分ほどかかる。意外に長い道のりを歩いて神社の正面入り口にたどり着く。そこから,鳥居をくぐって参道を抜けると神門がある。その神門をくぐると正面に拝殿がある。そして,拝殿の横から本殿の方を見上げてみる。

Wac04_kamayama2_2012           * 竈山神社神門(2012年1月)

Wac04_kamayama3_2012           * 竈山神社拝殿(2012年1月)

Wac04_kamayama4_2012           * 拝殿脇から竈山神社本殿の方を見上げる(2012年1月)

境内の雰囲気といい,これらの建築物といい,かなり立派な神社である。

竈山神社(かまやまじんじゃ)は旧官幣大社で,御祭神は彦五瀬命(ひこいつせのみこと)。彦五瀬命は、初代天皇である神武天皇の兄にあたる。

この兄弟は,九州を出発して大和を目指すが,生駒山を越えて大和に入ろうとした際,長髄彦(ながすねひこ)の抵抗にあい,その戦闘のなかで彦五瀬命は負傷してしまう。

その後,太陽に向って戦うのは良 くないとして,東から回り込むために一行は南下するが,彦五瀬命は戦闘での傷がもとで,紀国の男之水門に着いたところで亡くなる。

彦五瀬命はその亡くなった場所で葬られたが,それがこの竃山の地であったとされる。神社の裏手には彦五瀬命の墓とされる陵墓がある。

さて,この神話,出発地が当時の日向で,それは現在の宮崎県と鹿児島県にわたる領域である。

また,この兄弟の曽祖父・瓊々杵尊(ににぎのみこと)は,高千穂に天降った後,笠沙の御前で木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)と出会って結婚するが,その地は鹿児島県の薩摩半島の南西部とされている。

さらに,この夫婦の間に生まれるのが山幸彦と海幸彦で,彼らの物語の舞台も薩摩半島南部とされている。

ついでに,山幸彦の子で神武天皇の父にあたる鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)は,大隅半島中部の吾平山上稜に祀られている。

このように,天孫降臨から東征前の神武天皇までの間の神話は南九州が舞台とされる。そして,私の出身地が鹿児島。私が帰省した際,こうした神話の伝承地を巡ることもある。

そうしたことから,南九州を舞台とする神話には興味があり,解説本に目を通しすこともしばしばあったが,舞台が南九州を離れた後の神話には詳しくなかった。

そうしたときに,この竈山神社と御祭神・彦五瀬命のことを知り,少々驚いた。南九州を離れた直後にこのような物語があったとは。

和歌山に何かしら縁があったのではないかという気がするようなしないようなという感覚を少しは持たなくもない竈山神社への参拝であった。

2012年3月23日 (金)

伊太祁曽神社

和歌山に赴任して最初に迎えたお正月,やはり地元の神社にもお参りをしなければということで,三社参りを行った。今回は伊太祁曽神社。延喜式神名帳では名神大社に列し、紀伊国一宮とされる(Wikiより),由緒ある神社である。

和歌山電鐵貴志川線の伊太祈曽駅で下車して南へ約5分,下の鳥居が迎えてくれる。

Wac03_itakiso1_2012           * 伊太祈曽神社入り口(2012年1月)

この鳥居をくぐって奥に進んでいくと右手にまた鳥居がある。その鳥居をくぐりぬけ,池に架かる太鼓橋を渡ると拝殿がその目の前が下の拝殿となる。

Wac03_itakiso2_2012           * 伊太祈曽神社の拝殿(2012年1月)

この拝殿の中央の階段を上るとその奥に本殿があるのだが,そちらはいい写真が取れなかったので割愛。さて,この伊太祁曽神社には変わったものがいくつかある。

Wac03_itakiso3_2012           * 木俣くぐりの木(2012年1月)

この木の俣をくぐると難を逃れるという。古事記神話に由来するそうだ。私の出身地・鹿児島でも神話の舞台とされる場所が多いのだが,和歌山もそういう場所が多い。この辺りの神話についてもちゃんと勉強したいと思う。

Wac03_itakiso4_2012           * 霊石おさる石(2012年1月)

こちらは猿の顔に見えることから「おさる石」と呼ばれる。首より上の病に霊験著しいとのこと。「賢くなれますように」と触ってきた。頭の悪さは病か?また,前述した「勉強したい」が実現するかどうかも不明。意志の弱さは病か?

触った効果が現れる日が待ち遠しい。

2012年3月15日 (木)

和歌山城からの眺め

和歌山市は,徳川御三家のひとつ紀州徳川家・紀州藩五十五万五千石の城下町として発展してきた。和歌山市観光協会発行のパンフレット『わかやまし観光ガイド』(平成22年)をみても,表紙は新緑に浮かぶ和歌山城であり,「紀州・徳川ゆかりの地」の紹介に多くのページを割いている。

Wac02_wakayamajo1_2011            * 和歌山城天守閣(2011年4月)

この写真は本丸御殿跡から撮ったと記憶している。桜と天守閣とを良いアングルで撮れる場所として知られているのか,この場所では写真愛好家と思われる方々が多数陣取っていた。

Wac02_wakayamajo2_2011           * 桜の時期の和歌山公園のにぎわい(2011年4月)

一方,花より団子な人々は桜の下で宴会。公園内には屋台も多数出店していて,お花見の人々でとても賑わっていた。私もおつまみを購入して城壁で一人酒。

さて,天守閣に登ると和歌山市内を一望できる。

Wac02_wakayamajo3_2011           * 和歌山城天守閣からみる紀ノ川河口方面(2011年4月)

お城の一角に満開の桜,その下に広がる市街地,紀ノ川から紀伊水道に至る水面,広々とした空,そして住友金属の和歌山工場。良い眺めだ。

最後に,天守閣から紀伊山地方面を眺めると,山の中腹に我が職場,和歌山大学が見える。

Wac02_wakayamajo4_2011           * 和歌山城天守閣からみる和歌山大学(2011年4月)

茶色の壁面に「NANKAI」の文字が浮かぶ南海電鉄・和歌山市駅の建物の上方に見えるのが和歌山大学。市街地の喧騒から隔絶された,自然豊かな高台に立地していることがわかる。

和歌山大学のキャンパス周辺マップに書かれた言葉:ようこそ,空に近い大学へ。

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